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日置昌一
日本歴史人名辭典

ISBN:4061583239

かんしょう@日記より・・
いつも無理やり押しかけてかまってもらっている、higonosukeさんの黌門客の2月17日のログで紹介されてた日置昌一編『日本系譜綜覽』(講談社学術文庫)をみたかったんだけどあいにくなく、こちらを・・(いい加減でですみません。)

こちらでも初めにご子息の前書きがあり、日置昌一が在野であるが大家であるということが綴られており、その凄さの特徴としてやはり、その「記憶力」を揚げられていて、エピソードとして徳富蘇峰とのことが紹介されている。

二人が秀吉のことについての記憶で論が分かれたことがあり、蘇峰が史書を調べて自説を正して、秀吉より秀吉のことを知っているのでは?とおっしゃったと。

higonosukeさんのところでも驚いてしまったけど、記憶力はやはり抜群らしい。

で、内容なんだけど、

例えば、源頼朝が落馬により病に罹り死す53歳。とか、蘇我入鹿が己が家を谷宮門といい、宅外に柵を造って防備を巌にして、中大兄皇子が不臣を恨んでいたとか、在原業平は惟喬親王に心を寄せていた。大石内蔵助では「天下その誠忠を激賞して武士の模範とし、香華今も絶ゆることなし」とあり、源頼光の四天王の名前まである。

つまりなんていうか、わたしのような卑猥な読者にしてみれば、その書き方は淡々とはしているが、かゆいところに手が届いちゃって、人物像として描くに事足りている。のである。

ただ一つこの人が実直に過ぎるのかそれとも在野であるが大家であるゆえんなのかそれともわたしのせいなのか、女性を探すのが大変である。

小野小町はそのまま探せた。

ためしに、と思って北条政子を探してみたら「ほ」では探せず、諦めてそのほかを探してみたらあったあった。「源政子」。

それじゃと細川ガラシャ加羅奢と書くのだそうだ)をみれば細川忠興の妻とされていたし、日野富子に至っては名前をそれ以外知りえなく、お市の方は最後は確か柴田勝家だったかなぁ・・などということになってしまって、結局探せなかった。
それはわたしの総動員するべき知識のコマの少なさなんだけど、裏返してみると日置昌一の姿勢が正方向を向いていていることの証でもあるわけで、この人はさすがとしかいいようがない。

でも、ちょっとまてよ。と、ふと思った。ここで上記の『日本系譜綜覽』を使えばいいのか・・

(ろーるばっく)