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チルドレン

チルドレン

一つの事象が、実は違う話かな。というものに思えてしまう話。
後日談、写真、内緒話打明けが、その前の事象がひっくり返されたことを強く裏付けるものになっている。
でも、その前の事象もしっかりしていてうそだと思えないので正直、どっちが本当なのかわからない。(それで「かな」なんだけど)
いやいや、わからないと思わせることがこの作品の面白さなんだと思う。
つまり、読んでいる自分がどっちに味方をするのかの問題なんだから、どっちでもいい。


事象がひっくり返るのは陣内が居るからだ。
話が”語る”というか筋を語る視点があって、その視点の考えで各話進んでゆく。
ところが陣内は視点の考えではいつも理解不可能な存在だ。
語りからはみ出した所に居て、話を予想外の展開に導く。
しかし最後にはこの「視点」としては陣内そんなのだからかえって良かった。と思える方向に話は進んでいくのだ。
永瀬の「結果論からすると、陣内のやっていることの大半がオッケーになってしまうから驚きだ」というように。


つまりこの筋を語る「視点」は初めはその独自の視点から語るのだけども最後には陣内を受け入れた=陣内の世界の人のようになってしまって語ってしまうということなんだと思う。
陣内の世界の話になっちゃっているというか。
更に読み手の自分は、それを両方受け入れてしまっている。
だから、どっちでも良いと思ってしまっているのだと思う。
(複雑な入れ子型。。のような)


井坂幸太郎には以前にも別な作品でこう思わされてしまっている。
知らない内に犯人が誰で、筋上で読者の自分が置かれた立場がページを忙しくめくらなくてはいけない「火急」の状態にある事など忘れて、ただ面白くて読めてしまう。
今考えると、むかーしの欧羅巴の映画のような印象が残ったのは、知らない内にベールに包まれた世界に飲み込まれていく様な感覚になったからではないのかと思った。