今日も読書敢行

薔薇の木 枇杷の木 檸檬の木 (集英社文庫)江國香織「薔薇の木 枇杷の木 檸檬の木」
タイトルと表紙が気に入る。しかも短編ではないので初めて読むにはいいかもと思って読んでみた。
まずたくさんの登場人物が出てきて、それも、映画のシーン変わりのようにこう、自然に変わってきて戸惑う。でも気にせず読み進めてゆくと、たくさんの人物の恋愛模様が描かれているのでどれかの形態に集中して目が行ってしまっている自分に気付く(ふふ
でもって、この人の作品のキーワードとしては「誰かを好きになったからといって夫を嫌いになるわけではない。でももう二度と夫に男性的な魅力は感じられないと思う。」って感じかなぁと思う。


自分個人は自分個人でありたいという気持ちがはっきりしてて、例えばその人のことを考えている時でも、全然違うことをしている瞬間だったり、語気を強めたからといって喧嘩するでもないし、相手に溺れようとしない。要は相手に深く関わらない。
登場人物は段々いろんな切って捨てられないことを抱えながら決断してゆく。陶子と慎一との関係、友達のれいこや妹の草子みんなそれぞれの思いを胸に抱えて、抱えたまま新しいことに踏み出す。
つまり、自分が自分であるために、物事に執着したり、白黒を無理につけようとしないというか。・・
そしてそれは、陶子は確か慎一とどうして関係を進めたかというと「あいたかった」と言われ強く抱きしめられるのが自分が必要とされているからと思うからだ。としているんだけど、自分の夫の水沼との居やすい距離を置いた関係も夫婦として必要だとも思っているに違いなくて、思いを手放せず抱えるというより、どちらかというと、まぁ自分で在りたい。というのはいいとして、その時の自分ではなく、その足跡と共に真の自分を追及していくっていうことなんだと思う。
いろんな相手との関係が自分を容どるジグソーパズルのピースになっているっていう。。


逆にいうと、独占しない。自分に素直である。
不倫が辛いのは多分自分に素直な分、独占できない事に対して苛立ちを感じるからということになるのか。そうすると、不倫を長く続けていける人っていうのは恋愛に置き換えてこういうふうにかんがえれる人なのか・・とかぜんぜんちが〜う方向にモノを考えておりました。(はは


ということで、はて100の100冊に福井晴敏亡国のイージスを推した。
でもって去年の3月に書いたものをそのまま乗せることにした。
考えも変わっていないし。