朗読者 (新潮文庫)主人公は少年の頃、付き合っていた、とても年上の女性がいたが、その女性が突然、去っていった。で、その女性が最後に会いに来た時に、主人公は少年で女性との年の差を感じており、直接周囲にいる友達との関係の方が魅力的に思えていた時期だったので、無視をしてしまう。
そうして、それから何年かが経ち、その女性が主人公の前に現れたときには主人公は法律を学ぶ学生で、女性はユダヤ人を虐殺した1事件に絡む犯罪者で、かつ何故か発言をするたびに悪い方へ自分を貶めているところであった。
ところが、主人公はふとあることがきっかけで、また付き合っていた時に、主人公の朗読を聞くのがとても好きだったことから、この女性が実は文盲であるということに気が付く。文字が読めないから、能力があっても人にそれを悟られまいとしたので、その直前に仕事を替え、そういう職に就いたのではないか。悟られまいとしたから、結果裁判でも不利な方に自分を向かわせていってしまったのではないか。
そう、主人公は思うのだが、例えば自分達の親の世代が一般的に人間としてどう考えても良いと思われないことをした。一般的に考えてその人たちは裁判上で裁かれても当然であると思う。でもそれが自分の身内だったり、一時思いを寄せていた人だったりした場合。その人たちを憎めないでも。わるいことだ。と分けて考えることが出来るのか。という第三帝国の子供達が抱えていた問題を思ったり、彼女も知られるのを望んでいないと思ったり、気が付いたときには、悪い方向に行き過ぎていたという思いが交錯し続けて、あからさまにしない。
その後彼は服役中のこの女性に自分が朗読をした作品を送り続ける。そうして、彼女は文字を学び始めて主人公に自筆の手紙を送ってくるようになる。
ところが、この女性が出所をする段になって保護者が必要ということになり、主人公にお願いすることになるが、主人公の方は何年も会っていないし、さまざまな思いが複雑に絡み合ってあまり気が進まない。それでも準備を進めたのだが、出所当日彼女は自殺をしてしまう。
おおよそ、自分がしたい、してあげたいのに、本当に取るに足らない理由ででやめちゃったり、出来なかったりしたことにいつまでも忘れない。って言う経験があるのは、あたしだけなんだと本気でおもっていた。
けど、この本を読んで、そういう事を考えて(実体験かどうかわからないけど)いて、いつまでも心に残って忘れられてないことを考えている人はあたし以外にもいたんだ。とおもった。
それに、この作品が包含しているホロコーストの子供の世代が抱えていることにも目を向けなくてはならないのかもしれない。
世間様に対して公に「こんなことは残酷で非常に悪いことだ!」といえないというのがこの作品とその主人公の根底の一つになってて、それが大きくて深いあまり、彼女との隔たりを拡大したことには違いないとおもう。
でもどうして自分に素直になれなくって後悔しちゃったりするんだろう。細かいことにきにしすぎるからだろうかねぇ。