久々。裁判所へ。
聞きたいことが2〜3有ったのだけど、結局は民法の講習会ですか?のような初歩的な民法解釈を聞きに行ったような気がする。
あたしも真剣だから、「例えばこういう場合この制度はどの程度有効なのか。」とか「なにか有った場合、あたしが居なくても有効に成立するんでしょうか」とか、具体的に聞いてみたりするんだけど、そこまで責任はこの制度ではもてない。
とか裁判所もそこまでは面倒はみれません。やっぱり成立してしまいます。とあるいみきっちり答えてくれたので、ある場合ではこの制度は便利だけど、別な場合(実はこっちの場合が必要なんだが)は一度有効に成立するので、取り消さなくてはならなくて、タイミングをはずすと時間がかる。ということがわかって良かった。
でもって、必要な場合に有効に活用できないということがわかったので、申請をした方がよいのか(もちろん有料なので)どうか思案中。


こないだDVDを観た。
ビフォアサンライズとビフォアサンセットなんだけど、
両作ずっと2人の会話で作られた作品。
お互いがお互いの思っていることを相手にぶつけてそれを相手が反応する。
の繰り返しなので、必然的にキャラクターの性質を感じ取っていくこと=キャラに入り込んでいくことが、面白さを知るためには必要なのかなぁ。と思う。


ビフォア・サンライズ 恋人までの距離 [DVD]
ビフォア・サンセット [DVD]
ビフォアサンライズは確か、10年ぐらい前の作品なんだけど、
その続編を同じ出演者と監督等でやって、実際に経った時間・・どうしようもないものを前にして・・みたいなものがビフォアサンセットって形。
前作では、イーサンホークとジュリーデルピーがとっても可愛かった。


今回改めてこの前作をみてみると、限られた時間の中で、物理的に再会が難しい状況で、これ以上深入りできない女と自分を客観的に見ると自分がいやでしょうがなくなる男が、
事実や自分達がそうであるが故に互いに惹かれていくっていうのがとっても良かった。
要するに自分の首を自分で締めて行くって感じ(例え悪すぎだが)なんだよね。
 ロマンチック。
あたしにはこの言葉がぴったりだったような気がする。
この作品の最後で、やっぱり自分の性格上、細かいところまで好きになるので、気になって忘れられなくなるし、現実を見てみればもうあえない人なんだから悲しさを引きずる人を、好きになるのは良くないと、最後まで自分をがんじがらめにしていた女が、それを解き放って、半年後の6時にウィーンで再会しようと約束する。

で、9年後、ビフォアサンセットで、この男はこの2人のホントともウソとも取れる話を題材に小説を書いてパリでその小説のイベントに来た女と再会するとこから始まる。
まずあの時半年後にウィーンに行ったかどうかを確認する。
でもって作中で次回作を尋ねられた時に男が、
人間は短いなんかの瞬間で例えば1曲のポップスを聴いていて、そこで誰かが踊っている瞬間に、自分にとって一番心地の良い瞬間を思い出してふと気が付いたらその心地のよい瞬間に戻っていることがある。というショートストーリを書きたいといっていたのだが、
それを地で行った作品。


で、観ているうちに、事実2人が9年後こうして再会して話をしてあちこちをあるいて・・ということ、だけが作中の本当で、2人の話のどこからどこまでがホンネなのかこちらの作品ではわからなくなってしまった。
それは多分、この最初の部分で言ったことが展開されているからだと思うけど、どうしても、心地よい瞬間に自分を持っていくよう、一時でも自分の良くない現実を忘れれるように劇中で「そういうキャラに演じている」様な感じがする。
最後の場面で女がギターを弾きながら男のために歌を歌う。それを男が
名前の部分だけ差し替えているんだろ。っていうと女が「そうよ。アタリマエでしょ」というんだけど、これだってその一端のような気がするのだ。
ただ、普通に考えた場合本当は醜い自分なのに今日だけはいい人になろう。と思って一生懸命することはあるので・・と考えるとそういう自分もこういう自分も本当なんだろうな。と思ってしまう。


でも、面白くないかっていえば、あたしは、見せる映画も好きだけど、考えながら観てくのもすきなんで、面白かった。イーサンホークよかったし。よわよわしぃー自分が嫌いなジェシーは本人の年齢が重ねられてもその目つきに存在してたし。
2人のホンネだと思ってみると逆に、2人が9年前にいかに純粋な気持ちだったか。真っ直ぐお互いを向いて真剣だった、互いの人生で唯一の時間だったかがキャラクター2人だけではなく観てるあたしにもとっても伝わってきたもの。