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ボディ・アンド・ソウル

ボディ・アンド・ソウル

この本装幀装画が「クラフト・エヴィング商會」。
テレビで紹介されてて、一度お目にかかってみたいと思っていたのだ。
なんともいえない暖色系。何十年も温めて来たものという感じもするし。
いいなぁ。


さて
この本を読むと先に読んだ、「アラビアの夜の種族」のラスト、イスマーイールベイのあのボディが本来のソウルが抜けたもの。そこに物語を受け入れちゃっているもの。なのではないかと思ってしまう。
抜けた身体にはニセモノ(ホンモノじゃないの意)でも入り込まなくては何も出来ない。
そして、抜けたソウルは「理解」したことで物語りに取り込まれてしまっている。ということなんだろう・・と。


本作の特徴としては、題が「ボディ・アンド・ソウル」なのでボディとソウルとの関係がぎっちり詰まっている本である。(非常に真面目)
ソウルの抜けたボディは何にも出来ないボディになってその様子を語り手に、その内側に入られて、ちょうど演じられるような形で語られる。
・・・と形式はとても難しい。
内容はわたしが電車男で思ったことと同じで、
これは本物の古川日出男なのか、
あるいはボディがフルカワヒデオでソウルは別物なのか。
(カタカナの使い方はこんな感じだと思う)
と考えちゃう。
自分のボディ語り・・とでも言えばいいか。
ボディだから感じれる。
痛い。美味い。カナシイ。。などと。

ボディのヒデちゃんはフルカワチエが居なくてサビシガリ
チエはボディがヒデオから去ったのかソウルが去ったのか判らないけどチエに語らせたりして。
物悲しい心は居ない者を追いかけて、ボディは居ないもののたましいに入ってもらう。
そうして「あたしは古川日出男」だと語る。
(こんなかんじかな・・・←点が重要)