17
- 作者: 橋本治
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2004/03/30
- メディア: 単行本
- クリック: 1回
- この商品を含むブログ (24件) を見る
またまたハシモト。
ずいぶんと厄介な本を借りてきたものだと自分を恨む。
基本が
「自分のことを考えろ」と言われたときに「まず自分のことを考える」のか「まず他人のことを考える」
ということ。
ここを基点に話が進みそうして話が戻る。結局が自分で考えなくてはならないこと。社会、国家にもここから触れていたりもする。
決して軽い言葉の遊びではない。わからなくて当たり前だよ。ってことを基準にして私と他人(この作品の場合は自己と他とか、私と私以外といいかえれるのか私にはわかりません)とを述べた作品。
個人的には、ハシモトオサムという人が、前の日記にも書いたんだが、昔思っていた「見下ろすような態度」っていうのを自覚して、もしくはそれが良いとさえ思いながら、ものを書いていた。
私が「わかんねぇ」とか「もすこしわかるように頼むから書いてくれ」と思ったとしても
「良いんだよ別に。わかってもらえなくても当然だから。」と思いつつ書いていた。
っていうのが、わかりました。
昔はこのような非常に曖昧なものが嫌いだったんですけどそういう自分はこんなしょーもない事しか考えられなくって何様かと、考えれるようになった今は私もハシモト的にまぁいいかな。と思ってしまいます。
作中近代だの前近代だのって言う表現をしてたのって、前近代ってもしかしていわゆるモノガタリ的世界のことだろうか。
そうしてこの近代の・・「まず他人のことを考える」
っていうのは、刷り込みによる他人を作り出す。ってことだろうかね。
だとしたら、おそらくずいぶん前迄の少女マンガで非常に多用されていたもののことなんだと思うんだよね。
「あたしブスだからもてないに決まってる」ってあれだよね
例えば、それが発展してこんなのもあったような・・
あんまりに自分の作り出した他人のこと考えすぎちゃって、好きな男が自分に気がないと思い込む女が居たとする。
この女の友達も同じ男が好きで、なんかのきっかけで勝手に友達の方が好きだと思い込む。
この女、そんなもんだから、身を引いちゃって友達とその男くっつけちゃう。
おまけに勝手に好きでもない男を「好きになった」と思い込んじゃう。
ところが、好きだった男が実は自分のこと好きだとわかる。
でも、「好きだったその男」はその女が好きなんだけど、友達と別れることが出来なくって「まぁいいか」っていうような、あったまに来ちゃう態度。
一方、自分も無理に好きになったのがバレバレなんだけど、相手の男がこれまたいいヤツで、その男のことを考えると(これも勝手な考えだけど)後戻りできなくなっちゃってる。
しかして、自分でくっつけた手前もあり、友達も大事だし。
なんて結局、自分で種まいといて、疲れちゃって「もういい」なんて後悔して、自己中毒・・・
あんまり掘り下げるだけの知識とか考えがないので、これは考えというより感覚に近いもんだけど、
題がそうなだけに、「いま」「私たち」が考える「べき」ことなんだろうけど、
「私たちが考えること。」
で、よかったような気がします。
だからどうってことないけど、宮台さんなんかの方がもっとこの辺のとこほじくっているような感じもする。
どうなんだろう