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戦国自衛隊1549

戦国自衛隊1549

この本。この映像ではわからないけど、横長の本です。そうして赤い帯封とってしまうと、某老舗菓子屋のパッケージに超似てます(ふふ。


よくご存知な方も多い、半村良の同名小説の、自衛隊が戦国時代にタイムスリップするというSF活劇のその大枠をかりた作品。(という風に福井さんもおっしゃっていたような・・)
(因みにこの作品の映画も以前観たはずですけど、思い出せません・・なさけない)
福井さんはこの大枠に専守防衛だけで良いのか、守るべきものがあると自分たちで自覚して他人事と済まさないように取組まなくてはいけないのではないか。と、防衛の切り口でこれを福井作品にしている。
そしてまた、そういう大枠をかり、防衛論を語り、歴史大の時間の流れの中で歴史を回復するという使命を人物達に負わせてはいる。
けど、戦国時代というのは歴史的な大きな世界そのものではなく主人公を解放する救済の空間として機能していて、そのなかで表現されることは福井作品然としている。
つまり、純粋に信じて疑わないことが、だから偶発性もあるということを考えることが出来なかったのだろうが、突然遮断されることによって疎外になった主人公が、戦国時代に行くことで、純粋さを取り戻し、疎外から解放されるというとても小さな個人の話を書いている・・という。
『川の深さは』では匿われた男女。『月に繭 地には果実』ではディアナ『終戦のローレライ』ではパウラ『亡国のイージス』では如月行が当たると思うんだけど、必ず主人公の心を支えて純粋さを取り戻させる存在がいて救済する。
この作品でも居ないことはない。例えば怜とか濃姫とか。
でもむしろ戦国時代という時代とそれをつむぐ人間がそういう存在になっていて、主人公を救済していると考えた方がいいと思う。


良く考えてみるとこの福井作品の根底にある誰も反論し得ない形は、某超人気アニメの主題ではないか。と最近思えてきてて、尚且つあたし自身はとても力強さを感じて読み入って楽しまされるところが気に入って読んでいるんだけど、救済されるのを読んで救済されるあたしはこういう世界にただ逃げ込んでいるだけなのかもしれない・・などと考えてしまったりしている。