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ミヤザワケンジ・グレーテストヒッツ

ミヤザワケンジ・グレーテストヒッツ

高橋源一郎さんが宮沢賢治のを・・って
id:helioterrorismさんとこで、知ったので、なにげなく(ほとんどイキナリに近く)
(フツウはイキナリこんな質問するっていうのもどうかと思うが)
「一味違うかんじですか?」
単刀直入に質問ぶつけたら「というより、平均点が高い」っていうお答えだったので、
んじゃよんでみっか。ということになりました。
たしかに。このお答えは正解のようです。(それよりこういう答え方にシビレた)
高橋さんの本の読み方というのはその人の言い回しで自分の小説を書くまで読むというスタイルだそうだけど(たしか太宰治はそういう意味で書きやすいとか本に書いてたと思う。)
わたし、この小説そんなフウに何度も読み返して、離れてはまた読みまた読んでは忘れる。そうして繰り返して近づいていきたいような気になりました。


Aパートは意味とかつながりを持たない
Bパートは意味やつながりを手繰りよせる、よりどころを求める
そんなことが書かれていたと思います。
(他の読み方されている人がいたらご教示を)

高橋さん、こないだテレビで両方の意見を聞いてみないことには・・ということをいってたけどそれはこれのことかなぁー。


で、なぜか「NANA」思い出してしまった。
ナナ(ハチじゃなく)は孤独を怖がっていたけど、孤独になりたくなくて人をつなぎとめようとすれば、レンのように逃げられてしまうので、したいのに出来ないでいるんだ。
相手に理解される存在として、自分を位置づけしてほしいと言うこと。
役割をもらってここに居る証明をしてほしいということ。だったんだ。
と思ってしまった。

人間何も考えないで生きれればそれに越したことはないし、
実際そうやって外を絶って生きている人も居るけど、そうやって所詮根拠もない自分がつくりだした相手なのに関係をつくって生きていくことを望むという人はたくさん居るんだと思うし、だからみんな「NANA」をよく読むのかなぁーと(ちょっと)思いました。

考えの拠り所のようなものがなくてそれ欲しさにさまよって・・なんていうのは実は「若さ」なのかも知れない。
(ああ〜段々わからなくなってきてしまった)

ミヤザワケンジグレーテストヒッツからこんな風に自分の考えが派生するとは思わなかったけどコレもまた一つの読み方なんでしょう。
・・・とそんなところでした。
(先日篠井英介さんがこの言葉を発せられてて、とてもよい響きでしたのでわたくしもつかってみましたの)