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デウスの棄て児

デウスの棄て児

(やった!はて100上がりだ!後で編集記入しとこ・・今後は続けない。来年はわからない。4月1日からだから都合5ヶ月・・結構長かったなぁ)


嶽本野ばら
・・思ったんだけど天草四郎時貞が(美しいから)好き・・なんだよな。方向としては。
いやぁ。なんか下妻とかミシンも是非是非読んでみたいのだ。


自分の信じているものを偽ったり感謝の気持ちを捨てたりは出来ないということは愚かなことだけど、そのことに生きる意味を、見出して散っていった天草四郎時貞キリシタンの人々のモノガタリ

生きる意味を見出して、でも結局わずか16歳にして最期を迎える四郎。
それははかないのだけど、四郎からすると、誰にも相手にされずデウスに復讐をすることしか考えなかったのに、一瞬でも生きていて良かったとおもえて幸せになる瞬間でもある。


四郎は山田右衛門作と出会い、一揆を先導する。でも、この右衛門作。この戦ただの農民一揆になっているうちはうまく立ち振る舞いが出来たけど、幕府が本気になってしまって、兵糧攻めをされては勝ち目がない。だから四郎を慕って篭城するものをなるべく多く逃がしたい。自分は裏切り者だと思われてどんな目にあわされてもいいが、四郎は最後まで人々の信じる人であり続けなくてはいけないと四郎の前で言う。
また、何故自分が加担したのかというと、侍として平和な世の中になって誰しも、自分の保持しか考えなくなって上手く生きようとはするんだけど、誰かに忠義を尽くして誰かのために生きてみようという生きることの価値を見出す者がいなくなったので、戦を起こしてそういう「夢」をみて見たいからだという。
右衛門作と四郎のこの件が後を引くんだけど、やっぱりこの作品としての方向は
最初の方で多用されてた漢字・・それは正確な当て字ではあるのだがそれをとっても
「美しい」ということとか四郎の神秘さのようなところに向いているんだと思うのだけど・・

というわけであと何作か読んでみようと思いました。